世の中なんだかんだで多数派の方が楽しい

みんなと同じゲームをプレイし、みんなと同じ感想を持つゲーマーが勝ち組

多数決の作品こそ、まず疑ってみる

を読んで思ったことをだらだら書いてみる。
いや、あんまりゲームしないんだけどね。


ちなみに、私のゲームに対する向き合い方はこんな風に変わっている。


昔も皆でゲームの体験を(家や学校で)話し合っていたよという時代
(FC時代)

1人でゲームやって、クリアして、おもしろかった」という時代
SFC・PS時代〜ストⅡの没落と大作RPGの繁栄〜)

ゲームそのものを楽しむより、ゲームの体験を(ネットで)人と話すのが楽しい時代
PS2時代以降)



小労力で最大限の楽しみを得たいなぁ

「多数決の作品こそ、まず疑ってみる」の中の一説

『まず、すべての作品を並べようとする』ことをしないユーザーがいる事実が、自分はとても悲しく思います。

matumoriさんも言葉どおりの意味で書いてあるわけではないだろうが
ゲームをすべて並べるなんて私には経済的・時間的に無理だ・・・。
限られた自分の余力の中から遊ぶゲームを選ぶには
何らかの選択の根拠が必要となる。
いつも買っているのと似た作品、以外にその根拠を求めるとしたら
ネットでの評判が手っ取り早いのではないか、
いや、もっと率直に言うならネットで目に付く回数=多数派の形成である。
(もちろん、HPか雑誌でないようチェックはするが)


情報無く買って満足度20,60,100点のソフト三本買うより
評判のソフトだけを買って100点のソフト三本買いたいと私は思っている。
問題は評判ソフト=満足度100点のソフトとは限らないということである。
評判になるだけのポテンシャルがあるのだから満足度が高くなる確率は高いだろう。
高確率側の人間は評判が良いから、で買っただけで容易に高い満足を得られる。
しかし、そこから外れてしまった人は時間と金を消費した挙句、
自分に合うソフトを探して彷徨わなければならない。
故に感性がマジョリティ側に属していたいな、と思っている。

話題に挙がる作品の中からしか選べなければ、本当に楽しい作品に出会えないまま人生を過ごしてしまうかもしれないが、闇雲に探していては、本当に楽しい作品に出会える前に人生が過ぎてしまうかもしれないし・・・。


問題は心の持ちようとかではマジョリティ側に移動できないことである。
そう感じちゃってるんだから
自分では、もうどうしようもない事なんだよなぁ・・・



やりたいものをやればいい、のやりたいものがマジョリティと一致していた方が良いよなぁ
評判のソフトとマイナーなソフトがあったとして、
ゲーム単体から得られる満足度が、同じならコミュニティで話題に出来る面白さが追加される分
評判のソフトの方が面白くなる。
よって、評判のソフトの方が満足度が高く感じる側の方が良いな、と思う。



マイナーなソフトを面白いと思う思いを否定しているわけではない
でも、評判のソフトを面白いと思う思いも間違っているとは思わない。
その面白さを分かる側に居たいなぁ、と思うのと
後者のタイプを面白いと言う人は、皆が面白いというから、自分の感情に関係無くなんとなく面白いと反応している、というわけではないと私は思っている。根拠無いけど